お葬式コラム

2022.09.17

昔の葬儀と今の葬儀の時代ごとの風習・習慣の違い

葬儀-葬式

この記事では、今と昔の葬儀(埋葬方法)の違い葬儀社のはじまりを紹介します。

この記事を読めば、現代では「当たり前」となっている葬送のあり方が、時代ごとにどのように変化してきたのかがわかるでしょう。

また、現代で葬儀を執り行う「葬儀社以外の団体」の種類や特徴も紹介するので、葬儀を依頼する業者選びの参考にしてみてください。

それでは、さっそく今と昔の葬儀(埋葬方法)の違いを、時代ごとにみてみましょう。

昔の葬儀(埋葬方法)を時代ごとで見る

現在の日本では、人が亡くなったら通夜や葬儀・告別式を行い、火葬したのちに埋葬する流れが一般的です。しかし、昔の日本では、今とは異なる方法で葬送が行われていました。

ここからは、縄文時代から現在に至るまでの、時代ごとの葬送の変化を紹介します。

縄文~弥生時代の葬儀

縄文・弥生時代に行われていたのは、ご遺体を火葬せずに埋葬する土葬(どそう)です。それぞれの埋葬方法には、以下のような違いがあります。

縄文時代 弥生時代
埋葬方法 屈葬(くっそう) 伸展葬(しんてんそう)
埋葬方法の特徴 ・手足を丸めた体育座りのような姿勢
・重い石を抱かせた抱石葬(だきいしそう)が行われることも
・手足を伸ばして寝ているような姿勢
・木や石で棺(ひつぎ)が作られるようになった
埋葬の考え方 死者の魂が浮遊しないように、死者が悪霊となって蘇らないように埋葬した(※) 死者の安らかな眠りを願って埋葬した

(※)上記は一説によるものです。胎児のような姿勢で埋葬することから、死者の魂の再生を願ったとする説もあります。

上記のように、縄文時代には穴を掘る手間が少ない屈葬(くっそう)が主流でした。

一方で、弥生時代になると中国大陸から渡来人によって伸展葬(しんてんそう)がもたらされ、埋葬方法の主流が移り変わっていきます。木や石などで空間を作ってから埋葬したり、盛り土や溝で墓を作ったりと、人々は埋葬に手間をかけるようになりました。

古墳時代の葬儀

古墳時代になると「古墳(こふん)」と呼ばれる巨大なお墓が誕生します。古墳は丘のように盛り上がった形をしており、大きいもので500メートル近くもある、非常に大規模なお墓です。

ご遺体は棺に納められ、古墳の中にある石室(せきしつ)と呼ばれる空間に埋葬されました。また、鏡や武器などの死者に供える品(副葬品/ふくそうひん)も一緒に埋葬されるようになります。

ただし、古墳は王家や豪族(ごうぞく)といった、身分の高い人たちのお墓でした。庶民の埋葬方法に関しては、大きな変化はなかったと考えられています。

飛鳥時代の葬儀

古墳時代に続き、飛鳥時代にも古墳は造られていました。この時代を生きた聖徳太子(しょうとくたいし)のお墓も古墳です。

しかし、大化の改新の「薄葬令(はくそうれい)」によって、必要以上に大きく派手なお墓の建造が規制されると、大型の古墳は造られなくなっていきます。

後期には、古墳は貴族のなかでも、さらに限られた人々のみの特権となりました。

飛鳥時代は庶民の埋葬にも変化があります。埋葬できる場所が定められ、自分たちで決めた場所にご遺体を埋めることができなくなったのです。

また、日本史上、初めて火葬が行われたのもこの時代とされています。

奈良時代~平安時代の葬儀

奈良時代といえば、現在の奈良市につくられた都・平城京(へいじょうきょう)が有名ですが、京内にお墓を造ることは固く禁止されていました。そのため、たとえ身分の高い人のお墓であっても、京の外に造られたといいます。

庶民は飛鳥時代と同様、決められた場所にご遺体を埋葬していました。また、埋葬せずに野ざらしにして、自然に任せることもあったようです。

平安時代には、特権階級の人々の間で、高野山(こうやさん)に遺髪や火葬した遺骨を納める「高野納骨」が流行しました。高野山は清められた土地であり、その地に眠ることで成仏できると考えられていたのです。

鎌倉時代~室町時代の葬儀

鎌倉時代は仏教の浸透により、庶民の間にも広く火葬が広まりました

とはいえ、当時の技術ではご遺体を完全に火葬することが難しいケースもあり、依然として土葬も行われていたといいます。

火葬されたご遺骨は、小さな容器に納められて埋葬されました。なお、当時はまだ、現在のようにお墓の上に墓石を置く習慣はなかったそうです。

室町時代には、寺院の境内に墓地が設けられるようになります。埋葬が禁止されていた京内でも、一部寺院の境内に限っては埋葬が認められることとなりました。

江戸時代の葬儀

鎌倉時代から広まりを見せた火葬文化ですが、江戸時代には一転して土葬が主流になります。その理由としては、火葬の際に出る煙や臭いのほか、仏教における輪廻転生の考え方が関係しているのではないかといわれています。

なお、当時の埋葬方法は、土饅頭(どまんじゅう)と呼ばれています。これは、死装束に身を包んだご遺体を棺桶(かんおけ)に納めて土に埋め、その上におまんじゅうのように土を盛り上げたことが由来です。卒塔婆(そとうば)や墓石がみられるようになったのも、この頃です。

時を同じくして、江戸幕府から寺請制度(てらうけせいど)が発令されると、人々は檀家(だんか)になること、すなわちいずれかのお寺に属することを強制されました。この出来事がきっかけとなって、お墓の管理が進むとともに、仏教の教えにそって現在につながる葬儀のスタイルが確立されていきます。

明治~大正時代の葬儀

明治時代のはじめには、自分たちで行う葬儀「自葬祭(じそうさい)」が禁止されました。この禁止令によって、すべての葬儀は神主や僧侶などの宗教者が執り行うようになります。

また、寺院の勢いを恐れた政府によって、神道を国の宗教とする政策がとられたのもこの時代です。これによって、寺院の悪行に反発を強めていた民衆による「仏教を排除しよう」という運動(廃仏毀釈/はいぶつきしゃく)が盛んになります

さらに、仏教の流れを汲む火葬も禁止されます。しかし、土葬用の土地がなくなったこと、火葬を望む声が多かったことなどから、禁止令は2年ほどで解除されました。

そして、明治時代以降にはお墓の概念も大きく変わります。これまでは個人ごとのお墓だったのが、家ごとのお墓として造られるようになり「先祖代々の墓」がうまれたのです。

大正時代には人力車に代わる霊柩車が普及し、次第に庶民の間でも用いられるようになります。

今の葬儀

近代における葬儀では、通夜と葬儀・告別式をして火葬を行ったのち、ご遺骨を骨壺に入れて先祖代々のお墓に埋葬するのが一般的な流れです。

しかし、現在では人々のライフスタイルや価値観の多様化から、お葬式や埋葬に対する考え方もさまざまに変化しています。

現代の葬儀スタイルは、一般的なお葬式をはじめとして、家族だけで執り行う「家族葬」、通夜を行わない「一日葬」、火葬のみで故人を送る「直葬(ちょくそう)」などです。

また、埋葬方法も変化しており、納骨堂(のうこつどう)や永代供養(えいだいくよう)、散骨(さんこつ)を利用するなどして先祖代々のお墓を手放す選択をする人も増えています。その背景には、後継者がいないことやお墓の維持が難しいことなどが挙げられます。

関連記事:お墓はいらない│「墓なし」の注意点と供養方法4選

葬儀屋さん(葬儀会社)の始まり

ここからは、現在の葬儀に欠かせない葬儀会社のはじまりを紹介します。

昔は自宅葬が一般的

昔は遺族や地域の人々で執り行う、自宅での葬儀が一般的でした。その後、ご遺体は遺族や地域の人からなる長い行列によって、火葬場やお墓まで運ばれていくのです。

この行列は葬列(そうれつ)野辺送り(のべおくり)と呼ばれ、列に参加する人は持ち物や役割なども決められていました。

この際、葬列に必要な道具を貸し出す業者葬列を立派にみせるために人材派遣を行っていた業者が、現在の葬儀社のはじまりといわれています。

なお、江戸時代から明治の終わりにかけて行われた葬列の慣習は、霊柩車の普及と共にすたれていきます。

現在の葬儀様式の普及

現在では当たり前となった告別式が、初めて行われたのは明治時代です。

実は、宗教的な儀式の「葬儀」とは異なり、告別式は故人に別れを告げる社会的な儀式です。明治時代の学者・中江兆民の死を惜しんだ弟子や友人たちが行ったのが起源とされています。

また、当時の祭壇は今でいう枕飾り(まくらかざり)程度のものでした。枕飾りは、故人の枕元に飾る小さく簡易的な祭壇です。それが段々と変化していく過程で葬具メーカーや専門職人、葬具屋が現れて、現在のような大きな祭壇がつくられるようになっていきました。

地域の葬儀から業者サービスへ

葬儀の様式が変化していくとともに、葬儀の場も自宅から斎場へと移っていきます。これによって、葬儀は個々の家庭や地域住民で行われるものではなく、業者に依頼して行うものになっていきました。その結果として、葬儀会社がマネージメントする現代のお葬式が普及していったのです。

昔の喪服は白色だった?!

実は、昔の喪服は白色が定番でした。千年以上の歴史を持つ白喪服が、現代で主流の黒色に変化したのは、明治時代以降といわれています。西洋文化の影響を受けていくなかで、喪服の色も変化していきました。

なお、現代でも白色は正式な喪服として、伝統やしきたりを重んじる家柄や一部地域のご葬儀で着用されています。

「あなた以外には嫁ぎません」という決心を込めて、未亡人が白の喪服を着用することもあります。

現在の葬儀会社の種類

葬儀を執り行う団体は葬儀社だけではありません。ここからは、葬儀を執り行う団体の種類とその特徴を紹介します。

1.葬儀専門業者(葬儀会社・葬儀屋)

葬儀を行う団体として、最もポピュラーなのが葬儀専門業者(葬儀会社・葬儀屋)です。仕出し業者やギフト会社、霊柩車会社などの複数の業者と提携して、葬儀を執り行います。

葬儀会社の規模は、地域密着型や家族経営型などの小さいものから、県をまたいで数多くの葬儀を手がける大きなものまでさまざまです。自社ホールを持たずに、私営や公営の斎場を利用して葬儀を行う会社も多くあります。

2.JA・生協などの協同組合系

JA(農業協同組合)や生協(生活協同組合)などの協同組合は、組合員向けに葬儀事業を行っています。これらのサービスを利用すれば、比較的安く葬儀を行えるかもしれません。

ただし、協同組合系の葬儀は、あくまでも組合員向けです。一部地域では非組合員でも利用可能ですが、その場合は割引が適用されません。

また、地域ごとにサービスの内容が異なる点にも注意が必要です。

3.冠婚葬祭互助会

冠婚葬祭互助会(互助会/ごじょかい)は、毎月の掛け金を積み立てて婚礼や葬儀の費用を備えられるサービスです。葬儀費用は平均で200万円といわれており、毎月少額ずつでも積み立てておくことで、大きな出費にかかる負担を軽減できます

この積立システムは、戦後日本全体が貧しかった時代に誕生しました。助け合い(相互扶助/そうごふじょ)の精神から、少額ずつお金を出し合い、いざというときの経済的負担を小さくしたことがはじまりとされています。

関連記事:葬儀費用の平均はいくら?家族葬・一日葬・直葬の費用相場も解説

4.葬儀紹介業者

葬儀紹介業者とは、インターネットなどで集客だけを行う業者のことです。実際に葬儀を執り行うのは提携する全国各地の葬儀社なので、葬儀の内容やサービスに差がある恐れもあります。

また、葬儀社紹介業者では葬儀費用が明確化されており、お寺に支払うお布施(戒名料・御経料)なども金額が明記されていることが多いです。

葬儀に関するご相談は「お葬式のひびき」へ

群馬県前橋市の葬儀社・お葬式のひびきでは、家族葬を中心に “ご遺族に寄り添ったアットホームなお葬式” のお手伝いをしております。

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葬儀に関するご相談は、いつでもお葬式のひびきへお問い合わせください。24時間365日、お電話の向こうでスタッフが待機しております。おひとりで抱えずに、知りたいこと、ご不安なことがあれば、深夜や早朝でも遠慮なく弊社にお電話いただけます

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